天理よろづ相談所病院 藤北 尭彦
「はぁ…はぁっ、はぁ…」
肩で息をしていることを隠せない。傍から見たらきっとかっこ悪いに違いない。でも今は、そんなことを考える暇があるならばこの一歩を速く、さらに速く踏み出す努力をするべきだ。
追手は多分5〜6人、恐怖心から振り返りその姿を確認したくなる。でも振り返らない、否、振り返れない。砂利の上を走る自分以外の足音がすぐ側に迫っている気がするから。振り返ればそこで終わってしまう気がするから。
なるべくネガティブな思考はやめようと思うものの、銃を持った手が汗でべとついていることに気がつく。3m以内で撃たないと当たりもしないうえ、玉数も少ない代物だ。本来ならば少しでも体を軽くするために捨てる必要があるのだろう。だが、追手は各々が銃を持っていることが分かっている。そのため最低最悪の状況を考えると手放すことはできなかった。
ただ無心に逃げようとすればするほど今の状況が理不尽であると感じてしまう。楽しいはずのアウトドア同好会がどこでこうなってしまったのか――――――
その日、洞川キャンプ場はとてもいい天気でした。ただでさえ晴れ男、晴れ女であらせられる緒先輩方のパワーが朝っぱらからの飲酒によりヒートアップし、そのテンションでもって雲を退けているような晴れっぷり。そんな熱気の中ついにメインイベントに突入し、大人たちによるバーベキュー、子供たちによるカレー作りが始まりました。が、早くもここでトラブル発生。子供たちがもう一つのメインイベント『魚の手掴み』から帰ってこないため急遽カレーを女性陣が作る事となりました。それにしても魚の手掴みって恐ろしい、カレー以上に子供の心を掴んで離さないなんて。むしろ逆に魚が子供の心を掴むなんて…
まぁ、それより恐ろしいのは男性陣によるバーベキューの用意だったりで、例えるなら出されたラーメンに親指が浸かっていてもこれが当店の隠し味と言わんばかりの男っぷり。飯盒で炊いた固めのご飯をオレンジジュースで蒸したり、ビールで蒸したり、ハイキングだけが冒険でないことを子供たちに教える男気溢れる料理になってます。そんな準備も終わりの見えてきたころに子供たちが戻ってきました。網の上に肉を載せ、あたりに香ばしい匂いが漂ってくるころになると、みんな飲み物片手に準備万端で乾杯の合図とともに楽しい昼食が始まりました。
肉を載せ、焼けたら食べる。また乗せて、焼けたら食べる。時にビールでのどを潤し、肉を食べる。『人に良いと書いて“食”』昔の人は何て巧い事言うんでしょうか。まさに美味い肉を沢山食べて夢見心地の良い気分でした。しかし、そんな楽しいはずの昼食も、徐々に風向きが変わってきました。大量に買い込まれた食材がここに来て参加者のキャパを上回り始めました。その状況をいち早く機敏に察知した当院の先輩技師が、僕に手作り焼肉丼を御馳走すると言って下さいました。そのときの満腹度は85%、絶妙の引き際です。ここを逃すと苦しい戦いが待っています。カルピスを飲んで華麗にフィニッシュにしたかった僕としてはやんわりとお断りしたいところでしたが、目が笑っていない先輩技師の笑顔の前ではかき込む以外に選択肢はありませんでした。カリカリに肉汁が飛ぶまで火の通ったお肉に、肉汁の代わりとばかりにかけられた焼肉のタレ。新手の虐めですかという気持ちをこめた笑顔でお礼を言うと黙々と食べ始めました。ようやく底に溜まったタレが見えるところまで食べ進んで、現在満腹度95%。その食べっぷりに気を良くされた先輩は、その日一番の笑顔でおかわりはどうかと尋ねてきました。大先輩の御好意です、ちょうど底に溜まった焼肉のタレを薄めたかった僕は少しだけ下さいとお願いしました。なぜか先輩は嬉しそうに任せろと言って、ご飯をつぎに行って下さいました。このとき本来ならば、ほんの少しにしてくださいと言うべきでした。もっと正確に言うならば、お猪口一杯分くらいと詳しく言うべきだったのです。再び笑顔で現れた先輩の手には予想以上に盛られたご飯と焼肉、そしてカレーがかかっていました。良かったな、カレーと焼肉が一日で食べれるんやから。そういって微笑む先輩についには黒いものを感じました。気がつけばビールを片手に無理やり呑めと勧めてもくれました。優しさとは時に無慈悲にこうも人を限界ぎりぎりの崖っぷちから突き落とすものなのですね。焼肉カレー丼タレだくを缶ビールで流し込みながら気がつけば満腹度120%。もはや胃の噴門はその名のごと噴火寸前、ほど良くアルコールも回っていることもあり、隅っこの長椅子でかるく横になりました。薄れ行く意識の中、多分子供たちの声を聞いたんだと思います。そして、つぎに気がつけば肩で息をしながら走っていました。
何が発端でこの逃走劇があるのかは逃げているうちに忘れてしまいました。今、確かなのは先輩技師方のお子さんに囲まれ、水鉄砲で集中砲火を浴びているという事です。僕の半分くらいの歳の子供たちにメガネと呼ばれ、追い掛け回されては、それこそ雨のように銃撃を浴びせられ、氷水を撃たれ、氷を投げられ、砂利を投石され、思う存分蹂躙されました。撃ち返そうとしては、着替えが無いから足しか撃ってはいけないという、もっともではあるけれども理不尽なルールに縛られ、私の水鉄砲を返してと迫られ、水が切れて補充しようとするとしこたま撃たれました。徐々に濡れるにしたがい、これはまずいと思いはじめました。そこで、その場にいた焼肉カレー丼タレだくをご馳走してくださった例の黒い先輩技師に子供たちの矛先を変えようと試み、子供たちを買収しようとしました。しかし、先輩が僕の買収額の倍の金額を提示。大人気ねぇよと捨て台詞を残して、逃走するしかありませんでした。
結局、この惨劇はバーベキューの片づけが終了しハイキングが開始されるまで続きました。後に残ったのは下着まで濡鼠の僕と、むしろ爽快な気分、そしてほど良い空腹感でした。
鍾乳洞や、自然、風景、見所満載の洞川でしたが、花より団子な僕のこと、ハイキングより食事のことしかあまり覚えていない自分がいたりします。その食事で苦しい思いもしましたが、掛け値なしに楽しい一日でした。次こそ黒い先輩や子供たちをギャフンと言わせて、気持ちよくハイキングに望むために、今からいろいろ考えて次回のアウトドア同好会を待ちたいと思います。